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zoom RSS 15年・・・

<<   作成日時 : 2010/01/17 11:36   >>

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あれからもう、15年が経ちました。
早いものですね。。。


下の写真は昨年の6月に神戸のメリケンパークで撮影したものです。
震災のつめ痕を残す場所として有名ですが、実は今回、本当は別の写真を掲載するつもりでいました。
それは、私自身が15年前に実際に撮影した震災直後の被災地の姿でした。


今年の正月、実家に帰った時に、実家に置いてある自分の荷物を整理したときに、一束の写真が出てきました。
それを見たとき、当時の記憶がまざまざと甦ってきました。

といっても、私自身は直接の被災者ではありません。
1993年に神戸の大学を卒業した後、私は大阪の実家に戻っていました。
なので1995年1月17日も、私は大阪の実家で地震を経験したのです。

そのときの大阪の震度は4。神戸の震度7に比べればずっと小さいものの、それまで大きな地震を体験したことのない私(に限らず、当時関西では地震がほとんどないといわれていたので、経験したことのない人の方が多かったはず)は、その揺れの大きさにびっくりして飛び起きました。

幸い、家財道具がひっくり返るような被害はありませんでしたが、それでも壁に立てかけてあったスキー板(実はその日の晩からスキーに行く予定でした。もちろんキャンセルしましたが)が足元に倒れてくるぐらいの衝撃はありました。

まだ外は真っ暗な時間帯、しかも揺れは1回でおさまったので、その時は
「デカい地震やったなぁ・・・」
ぐらいの感想しかありませんでした。

その後、テレビをつけたら神戸で大きな地震があったとのこと。
そしていくつかの場所で火の手が上がっているとの報道でしたが、それでもその段階ではまだ詳細が分かりませんでした。

そうこうしているうちに会社へ行かなければいけない時間になり、あわてて家を出たのですが、電車のダイヤが大幅に乱れて遅れに遅れているとのこと。
(この日、ほとんどの鉄道が運休になっていたが、私が通勤に利用している近鉄は遅れながらも動いていた)

とりあえず難波まで行き、会社に遅刻しそうだったので公衆電話で会社にかけると、出てきた上司曰く、
「大丈夫、まだほとんど誰も来てないから」
とのこと。

早朝のテレビニュースで見た情報しか持ち合わせていない私は、わけも分からないままとりあえず会社に入りました。
すると、確かに人がほとんど来ていません。そして、何人かの社員が食い入るようにオフィスに置いてあるテレビを見ています。
そのとき初めて、神戸が今、どういう状況にあるのかを理解しました。
それは今まで見たこともないような映像でした。

ビルや家屋は倒壊し、あちこちから火の手が上がっています。
高速道路は根元から折れて、数百メートルに渡って完全に倒れてしまっています。
これが本当に日本で起こっている出来事なのでしょうか。にわかには信じられませんでした。

と同時に、神戸にいる友人たちのことが心配になっていてもたってもいられなくなりました。
私は大学卒業と同時に大阪に戻ったことは前述しましたが、卒業後もそのまま神戸にとどまっている友人が何人かいたからです。
とにかく彼らに電話をかけまくりました。が、電話はまったく通じませんでした。
公衆電話ならつながる、という話だったので会社を出て、近くの公衆電話を見つけてかけてみましたがそれでもつながりませんでした。

と、ふと我に返って街を見渡してみました。
私のオフィスは大阪市内にあるのですが、すぐ近くの神戸であんなことになっているのが信じられないくらい、大阪市内はまったくいつもと変わらない風景だったのです。
いつもと違う点があったとすれば、地震の影響による交通マヒで、普段より街を歩いている人が少なく感じられたことぐらいでしょうか。

神戸と大阪、電車で30分もかからない距離にあるこの2つの都市の差はいったい何なんだと、そのとき思ったのを覚えています。

幸い、友人の安否については、彼らの実家に連絡があったらしく、大丈夫であるということは分かりました。
しかし、一人の友人の家が全壊となりました。


そして震災発生から6日後の1995年1月23日、私は友人たちの支援のため震災後初めて神戸を訪れました。
そこで見た光景は、テレビや新聞などで見た映像や写真をはるかに上回る、想像を絶するものでした。
私はもちろん、本物の戦場を見たことはありませんが、もし戦場があるとすればこういうところなんだろうなというくらい、すさまじい焼け野原が目の前に広がっていました。
場所によっては本当に、道までが瓦礫の山となっており、通行することも困難なくらいでした。

友人が住んでいた文化住宅は、見事なくらい完全に崩れさってしまっていました。


このときの街や道路、建物の様子を撮影した写真が、今回実家に帰った時に見つかったのです。
写真の日付を見ると、1月23日、31日、そして2月3日と、少なくとも3回は震災後すぐに神戸を訪れていました。
私は報道カメラマンでもありませんし、何かの作品づくりを目指していたわけでもないので、ただひたすら、この惨状を記録しておかねばとの思いだけからシャッターを押していました。
人は写していません。というか、写すことが出来なかったのだと思います。


今回、その中から何枚かの写真をアップしようかと思っていました。
あまりに生々しいものではありますが、震災のモニュメントでもなく、メモリアルパークでもない、本当の姿、私自身もともすれば忘れかけていた、本物の阪神・淡路大震災の姿を、こんなちっぽけなブログでも伝えることが出来たら、との思いもありました。

でも、さんざん悩んだ挙げ句、やっぱりそれらの写真を掲載することはやめました。
ブログにアップするにはあまりにも重たい写真だと思ったからです。
それに、実際に被害に遭われた方にとっては絶対に見たくない写真だとも思うからです。


というわけで、長々と文章におつき合いくださり、ありがとうございました。
被災者の方々、ご遺族の方々には心よりお祈り申し上げます。






画像
≪撮影機材:Nikon D700 + Ai Nikkor 50mm F1.2S≫



2009.6.6 神戸 メリケンパーク




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コメント(20件)

内 容 ニックネーム/日時
昨夜の「神戸新聞の七日間」と言うドラマを見ました。新聞社の写真部の方々の葛藤が描かれているところがありました。yamatakaさんの葛藤もそれと通ずるものがあるです。

私は震災直後は震源地の北淡町に入りました。その後震災から一週間後に神戸に入りました。北淡町と違ってこちらは火災が大きく、私も戦場は知りませんが正に戦場跡のようでした。

yamatakaさんが撮影されたものはいずれ記録として必要になると思います。人は忘れる生き物です。でも写真があれば奥深く刻まれた記憶は蘇ります。それは悪い意味でなく良い意味で蘇るものと思います。

昔と違って写真は庶民の手で撮れるようになりました。しかし後々まで残るものは少ないのでは?と思います。yamatakaさんの心が発表を決めたとき是非公開してみてください。
私も被災当事者ではないのでこんなことを言うのも何ですが…
凧tako
URL
2010/01/17 12:38
気の効いた文章は書けませんが。。
15年前、早朝のニュース映像の衝撃は忘れられません。
そして東京に住む者として、決して人ごとではありません。
震災時の状況などは大事な教訓として・・いつ震災がやってきても後悔しないだけの準備はしておきたいと思っています。
ささ
2010/01/17 22:42
 15年が絶ちましたね。
 「当時5歳で被災した子供がいるとしたら今年20歳かぁ」と考えたら少し生々しく感じました。
 子供が大人になれる歳月。


 そして15年と言う歳月は、ショックのあまり口を閉ざしてしまった人たちの心も徐々に溶かしてくれているのではないのでしょうか。


 いつか。
 yamatakaさまの記録が必要になるときが来ると思います。
 それまで、その記録は大切に保存しておいてくださいね。
 
RKROOM
URL
2010/01/17 23:10
こんばんは☆

私にはこの写真で充分に伝わりました。
この場所は 数回訪れていて同じような写真があります.
http://mominkan.blog95.fc2.com/blog-entry-345.html

あの震災で自宅マンションが全壊し(崩れ落ちたわけではないので無事でした)
実はもう住めないという現実は考えもせず、
実家や仕事先が気になって近隣を歩き回りました。

木造住宅があちこちで道路へ崩れ出していて道をふさぎ、
折れて崩れかけているマンションは炎と煙が出ていました。
ガスの臭いが そこら中に漂っていました。

震災の写真は一枚も撮っていません。
この日から家族の間にできてしまった気持ちのズレは
ながく引きずりましたが、、、
壊れた自宅を再建するための気力を奮い立たせることが
まず、大切でした。

友人宅も全壊、半壊は多かったのでお互いが心の支えに
なり合ってた感じです。
遠方にいる友人知人からの暖かい思いやりが心に沁み、
近隣の人たちの助け合いもすばらしかった。
でも、、、
何年たっても 震災記録の報道番組には泣いていました。
(見なきゃいいのに、、、、ね)

あの朝の激震の恐怖と その後に何年か続いた葛藤の日々を思うと今でも
胸が詰まる思いです。
今日はただ 生かされた人生を大切に生きようと思い、
不幸にして亡くなられた人たちに どうか安らかに、、、と
祈るだけです。

記録はとても大切ですので 大事においてくださいね。
少しずつ風化してゆく哀しみ、、、
忘れないで残されるのは確かな記録だけですから。

私事ばかりですが 被災者だった一人としてコメント
させていただきました。

今、立ち直りとても元気に遊んでいられるmominです^^






momin
2010/01/17 23:55
その当時私は東京に住んでいました。寝ぼけ眼でテレビを点けると、真っ赤に燃え盛る神戸の町並みが。画面の端にLIVEとか速報とか出ているのが信じられなくて、自分はまだ夢の中にいるんだと思ったのを今でも覚えています。あれから15年ですか。ほんと早いものですね。被災者のご冥福を祈るばかりです。
どりさま
URL
2010/01/18 03:26
おはようございます。
あの朝、生後2か月だった娘は、今年高校生になります。
被災された方にとって、長かったのか、早かったのか。
忘れられない、忘れてはいけない日だと思っています。
kouko
URL
2010/01/18 07:12
私も大阪で震災に遭ったので、それほど大きな被害はありませんでしたが、
yamatakaさんの記事を読んで、あの日のことを思い出しました。
私は小学生だったので、学校ではその話題で持ちきりでしたね。
子供だったので、実際に被災地に行くことはありませんでした。
神戸に行ったのは町が復興してからですから・・・。

毎年、1月17日には報道で、被災者・被災地の「今」の様子が伝えられていますが、
あの日の惨状を伝える報道はほとんどありませんね。
被災者の心情を考えて・・・という理由が大きいかもしれません。
でも、あのときの実際の姿を伝え続けてほしいという意見もありますね。
あの地震がどれだけすごかったのか、ということも風化させてはいけないかもしれませんね。
shakasha19
URL
2010/01/18 14:12
こんばんは〜

神戸にゆかりのあるyamatakaさんなので
色んな出来事を体験されてるのですね。

私は神奈川に住んでいたので大きな地震の経験がありません。
大阪の実家は軽い被害でしたが、それでも話しぶりから大変な状態だったと想像できます。

今は東海地震、南海地震の可能性が示唆されてますが
自分のできる対策は少しでもしておきたいですね。

yamatakaさんが撮影された写真はとても貴重な記録だと思います。
いつか必要とされる日がくるのではないでしょうか。
とっぷん
URL
2010/01/18 17:50
5年前に福岡でも大きな地震があり、我が家では震度5弱という揺れを経験しました。
あの激しい揺れは経験した者でないと分からない恐怖感です。
幸い、神戸のような甚大な被害は福岡では出ませんでしたが、あの時の教訓は次回には生かされるかが疑問でもあります。

sonic813
URL
2010/01/19 22:03
おはようございます!
当時は、神戸に勤めていまして、震災後はじめて
出社したときは神戸の変わり様に驚きました。
いつかyamatakaさんの記録が役にたつといいですね!
arcteryx1971
URL
2010/01/20 06:58
凧takoさんこんにちは。
コメントありがとうございます。

そのドラマ、私も見ました。
あのドラマに出てきた震災直後の光景と、私の撮った写真とがオーバーラップしました。
いつしか私自身も、メリケンパークなどの震災跡地が震災の姿だと思い込んでしまっているフシがありましたが、ドラマや自分の撮った写真を見て、あらためて震災直後の生々しい光景を思い浮かべることとなりました。

凧takoさんは震災一週間後に神戸に入られたのですね。
ということは私とほぼ同じタイミングで神戸入りされたことになりますね。

写真ですが、自分の中でも心の整理がついたら、差しさわりのない範囲で公開するかもしれません。
今年はそれが出来ませんでしたが・・・
yamataka
2010/01/22 15:49
さささんこんにちは。
あの大震災が起こるまでは、私も含めほとんどの関西人は地震の脅威ってあまり感じていなかったと思います。
むしろ関東は地震が多くて大変だなあくらいに思っていたのが正直なところでした(私の場合)。
でも、阪神大震災以降も日本の各所で大地震が発生している現在、日本そのものが地震列島であることに日本人は今さらながらに気づいたのではないでしょうか。
ほんと、日本に住んでいる限り誰にとっても他人事ではありませんよね。
yamataka
2010/01/22 15:50
RKROOMさんこんにちは。
当時、まだ物心ついているかいないかの子供たちももう高校生や大学生になっていると思うと、今さらながらに15年も経ってしまったんだなあという思いになります。

私は直接神戸で地震を体験しなかったので、実際に被害に遭われた方々の恐怖や心の傷はいかばかりのものか、想像することはできません。
が、確かに、15年という月日が経ったことで、少しでも心の傷が癒えておられることを切に願うばかりです。

写真、何年ぶりかで見て、当時の記憶がまざまざと甦ってきました。
あの地震がどれほどのものだったのか忘れないためにも、この記録は大切にとっておきたいと思います。
yamataka
2010/01/22 15:51
mominさんこんにちは。
貴重なコメント本当にありがとうございます。
私がこのブログでいくら切々と書いたところで、実際に被害に遭われた方の言葉の重みに比べればなんとうすっぺらいものかということがよく分かりました。
私も震災後6日目に神戸入りして現場は見ているので、生々しさやすごさは分かっているつもりでいましたが、住む家を失った方々の悲しみや絶望感は私などが語れるものではとてもありません。

ただ、直接の被災者ではなかったからこそ、写真も撮れたのかもしれませんね。
もし私が被災者で、住む家や財産を失ってしまっていたら、mominさん同様、写真など撮っている場合ではなかったと思います。

私なんかの撮った写真が歴史的価値があるなどとあつかましいことはもちろん言えませんが、あのときの記録として、少しでも風化させないためにもいつの日か役に立てばいいとは思っています。

mominさんもたくさんの悲しみや心の傷を背負っていることと思いますが、今、元気に立ち直っておられるとうかがって安心しました^^
yamataka
2010/01/22 15:52
どりさまさんこんにちは。
早朝だったので地震発生直後はテレビを見てても真っ暗であまり様子がよく分かりませんでしたね。
少しずつ明るくなってきて最初に目に飛び込んできた衝撃的な映像は、ズタズタになって倒れている阪神高速道路でした。
15年経ち、今私はあの高速道路からそれほど離れていないところに住んでいます。
ほんとあっという間でした。被災者の方々やご遺族の方々に心よりお悔やみを申し上げるばかりです。
yamataka
2010/01/22 15:58
koukoさんこんにちは。
そうなんですよね。震災前後に生まれた人たちはもう、中学3年生なんですよね。
そう考えると15年てあっという間なんだなあって思います。
でも被害に遭われた方々の中には、あれから時間が止まったままという方もきっと、おられるのでしょうね。。。
yamataka
2010/01/22 15:59
shakashaさんこんにちは。
当時まだ小学生だったら、神戸に親戚や友人がいない限り、被災地を訪れることはないですよね。
私も神戸にゆかりがなかったら、震災直後に被災地に赴くことはなかったと思います。
(とはいえ、結局仕事の関係で後日神戸には行ったのですが)

おっしゃるように、ここ数年は1月17日のテレビや新聞を見ても、慰霊の行事や今も残っている震災の爪あとなどは報道されますが、震災直後の現場の様子というのは年々報道される頻度も減ってきたような気がします。
今回、たまたま当時自分が撮った写真を発見して、私自身の記憶も風化してしまっていたのではないかということをハッと思い知らされました。
そういう意味では、私が撮った写真(ド素人の下手くそな写真にすぎませんが)もあの大震災のすさまじさを後世に伝えることにほんの少しでも貢献できるのかもしれません。
yamataka
2010/01/22 16:00
とっぷんさんこんにちは。
震災の2年前には神戸に住んでいました。
私の大阪の実家も被害はほとんどありませんでしたが、それでもかつて経験したことのないほど大きな揺れでした。
まるで家ごと揺さぶられているかのような・・・

その後、日本のあちこちで大きな地震が発生していますし、海外でもつい最近ハイチでものすごい地震がありましたよね。
阪神大震災以降、建物の耐震ということに対しても大いに意識が高まったと思います。
おっしゃるように東海地震や南海地震の発生も懸念されていますが、人々の地震に対する備えもこれまでよりはしっかりしたものとなっていることを願ってやみません。
yamataka
2010/01/22 16:03
sonic813さんこんにちは。
震度5弱ですと、ものすごい揺れだったでしょうね。
私が体験した震度4でも、まるで家ごと誰かに揺さぶられているかのような激しい揺れでしたから。。。
阪神をはじめ、あちこちで発生している大きな地震の教訓によって、人々の地震に対する意識は高まっていると思います。
あとは実際にそういう事態に直面したときに、万全の備えが出来ているかどうかですね。
yamataka
2010/01/22 16:05
arcteryxさんこんにちは。
おお、そうでしたか、当時は神戸でお勤めされていたのですね。
神戸の街の変わりようは言葉にならないくらいでしたよね。
あれから15年、パッと見は街もすっかり元通りになったかのように見えます。
私も普段の生活ではあの地震のこともつい忘れがちになってしまっています。
記憶を風化させないためにも、自分が撮った写真をときどきは見て、震災のすさまじさを心にとどめておくようにしたいものです。
yamataka
2010/01/22 16:06

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